イトウタカシの日常

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就活の想い出。

 
就活かあ・・・。
ボクもその昔やったなあ。
当時はメールエントリーとかスピーディな手段がなかったので、
いちいち電話でアポイントを取り、
日時をあわせて訪問するスタイルであった。
しかもケータイ電話もない時代、双方の連絡も大変だった。
試験の段取りとかも一度の電話で、
全て漏らさず決定してそれをミスなく遂行していかなければならなかった。
東京の会社での面接が日をまたいで長引く時なんかは、
滞在先のホテルに連絡してもらうようにお願いしたりして、
会社から電話連絡が来ないときは、
こちらからお問い合わせの電話したりして、
『いかがなりましたでしょうか?』なんて結構気を使った覚えがあるな!
だって合否の連絡は電報の時代だからね。
それでも就活を通して少し大人になった自分を感じたのも確かだ。
そ〜言えば、その時お世話になったビジネスホテルは・・
今もあるかいな??
え〜〜っと上野のサンターガスホテル。
・・おおっあるある!まだあった!
いやあ記憶がさらに蘇って来たぞ。
そうそう毎日緊張してたので部屋ではバタンキューだったけど、
狭い部屋で一張羅のスーツを着て気合いを入れていたのを思い出すわ。
今度、上野駅近くに行ったら訪ねてみるかな・・。


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市電の想い出

 
ボクが中学生の頃、名古屋はまだ市電が走っていた。
最寄りの駅から神宮前までたしか25円だった。
その神宮前には少し色気づいた少年がワクワクする
当時の若者の憧れのファッションブランドVANやJUN。
あるいはアメリカンカジュアルの垂涎ものの、
リーバイス501とかコンバースのスニーカーを扱うお店が、
たくさんあったのだ。
なのでお小遣いがたまったら勇んで市電に飛び乗り時神宮前を目指していた。
買い物はいつもドキドキしながらメボしい物を見つけると、
「す、すいませ〜ん。こ、これみせてください」と店員さんに、
ビビりながら伝えるのである。当時、最新ファッションを纏った店員さんたちは、
みんなカッコよくて輝いてみえた。
そしてそこでの会話はとても緊張してたどたどしいモノだったが、
ボクをファッションに目覚めさせファッションセンスを
磨いてくれたことにマチガイはない。
なのでお金がない時も店員さんたちとお話をしたいがために、
往復の電車賃50円だけを握りしめてせっせと神宮前に通っていた。
で、店員さんに「き、きょうはなんかいいものあ、ありますか?」
なんて、おかしな問いかけをしてね。
店員さんたちは純粋で熱心な少年が一生懸命に話しかけてくるので、
しょうがなく相手にしてくれたんだろな。
でも楽しかったなあ・・。
VANの白いボタンダウンシャツにリーバイスのブルージーンズ。
靴はコンバースのバスケットシューズ・・。
コレがボクの宝物だったね。
今考えるとフツーの服を着てるだけだったのだがね。








 

『天花粉』。について。

 
夏、エアコンがなかった幼い頃はアセモがいっぱいできてたな・・。
そこで大活躍したのが『天花粉』。
風呂あがりを追いかけられて白い粉をパタパタされた。
からだじゅう真っ白で肌がサラサラいい匂いになって、気持ちよかったですね。
今も天花粉って使ってるのかねえ??アセモもあんまり聞かなくなったしね。
『天花粉』はボクらの夏の風物詩でしたね。
ところで『天花粉』または『天瓜粉』(てんかふん)は、
キカラスウリの根からとれる粉のことだってさ。
古くは、おしろいがわりに用いられたんだと。
カラスウリ
 

ムカついた想い出だけど、大切な想い出。

 
昔、偉そ〜にする人と仕事をしたことがある。
その人は権力を持っていてそれを傘に、
ボクにもの凄いプレッシャーをかけてきた。
たとえば、
『一流になるためにはねえキミそんなんじゃダメだよ』とか、
『キミのデザインのポリシーは何だね?』とか、
『いいデザインってわかる?キミ?ウン??』とかとか、
とにかく上からバンバンものを言ってくる人だった。
で、ボクも若かったので言われることにことごとく、
腹を立てて歯向かう姿勢を崩さなかった。
そして、へつらわないボクを見てその人はさらに高圧的になって、
『キミィ、ボクの言ってること、わかってるの??』と、
若干キレ気味に話す。ボクもムカッとして言うことを聞かない。
堂々巡りのやり取りが続き結局その仕事はナシになった。
ボクからお断りしたのだが、そん時はしばらく胸くそ悪くてたまらんかった。
まあ、今だと『ハイわかりました。
おっしゃるように作って差し上げます』ってなカンジで終わるんだけどねえ、
それだけ純粋だったのかもしれないね、ボクが・・。
いやいやあの時の理不尽さと戦う気持ちって大切だと思うね。
そうそう失ってはいけないコトかもしれないな。
そして自分が偉そ〜な態度で生きていないかとゆ〜ことも気をつけないとな!
てなコトで、いろいろベンキョウになったお仕事でしたね。
 

苦手だったバイトのお話。

 
アルバイトの話。
学生時代そんなにたくさんではないがバイトをした。
主に効率よく、とゆ〜か手っ取り早く稼げる仕事を選んでやっていた。
体さえあれば技もトークもさほどいらないドカチン(土木作業)なんかが、
お金もイイしよかった。まあバイトだし責任もないしね。
あぁあと、引っ越し屋さんのバイトね。
体はキツかったけど、時々ご祝儀の副収入があったりしてよかったな。
でも、コレやっちゃいけなかったってゆ〜バイトもあった。
それは豊田の部品メーカーで美術系の大学生が希望だとゆ〜ことで、
時給も素晴しくよくってコリャいいわい!って。
きっと、部品のスケッチとかを描かされるんだろなくらいの軽い気持ちで、
受けてしまったバイトだ。
と、ところがだ・・会社に着くと会議室に数名のアルバイトがいて、
みんな原稿用紙を前に神妙な面持ちで座っている。
ボクも不安げに空いた席に着席して神妙な顔をする。
すると担当者がもの凄い量の資料を抱えて入室して、
挨拶もそこそこに今回の仕事内容を説明しだした。
しばらく話を聞いてボクはマズいと思いこの場所から、
立ち去りたい衝動に駆られたのであった!!
バイトの内容は担当者が持ってきたもの凄い量の資料を
キレイに清書する仕事なのであった!!
ボクは自慢じゃないが字が下手だ。ってゆ〜か、
長い文章を描き続けることなんかメチャクチャ苦痛なのである。
・・話が違うじゃないか!こんなん美術系の大学生カンケーないじゃん!
ちゃんと字のうまい人募集と言わんかい!ダメだ!帰りたいっ!!
・・狼狽えるボクの前に無情にも資料の束が置かれる。
『それでは始めて下さい』の合図とともにバイトクンたちは、
一斉に作業に取りかかる。みんな黙々と任務を遂行している。
部屋の中は“サササッ”と鉛筆が走る音しかしない。
あ〜〜耐えられない緊張感。ギャグの一発でも言いたいところである!
ふと我にかえって自分の書いた原稿用紙に目をやる・・。
う〜〜ん、コレでイイのかね??丁寧に書こうとすればするほど、
ウネウネとウネる文字たち・・。
でもボクを雇ったこの会社の責任だと開き直り作業を続ける。
そして、なんとか最後の一枚になった頃にはスッカリ外は日が暮れていた。
もう目はシパシパするし手はギシギシで、
体に変な力が入っていたのでバリバリのコリコリで疲れ果てました。
で、終了後バイト料を受け取りながら気力を振り絞って担当者に聞いてみた。
「あのぉ、このバイトぉ、美術系じゃないとダメなわけは・・?あのぉ」
と、担当者の答えが、
「ああ美術系の学生さんは字もキレイだし丁寧でしょ」・・だと。
・・キミは間違っている!!
美術系の学生は絵を描くのは得意だが、字と絵は!!ちがうんだよ!!





 

境の想い出。

 
昔、仕事で境にある病院に行った時のこと。
せっかくなので周辺を観光しようと予定より早く出向いた。
まずはあの有名な『仁徳天皇陵古墳』を見なきゃな!
後はタクシーの運ちゃんにでも聞いて名所を回ってみるか。
そこで駅前からタクシーに乗る。
「運転手さん、初めての境なんだけど、どっか見て回るとこある?」
「あぁ、見て回るとこねえ??」
「そうそう仁徳天皇陵古墳とかさあ」
「お客さん、あれ横から見てもオモロないでぇ」
「・・・ホント?」
「ホンマやでぇ、タダの森やでぇ」
「じゃ他におススメのトコは??港とか??」
「お客さん、港ってタダの港やでぇ風情とかあらへんでぇ」
「・・・ホント?」
「ホンマやでぇ、タダの港やでぇ」
てなカンジで会話は弾まず、運転手さん曰く、
後あるのは与謝野晶子生家跡とか阪田三吉の碑ぐらいだよって教えられ、
トホホな気持ちになっているボクを気の毒に思ったのか運転手さんが、
「ほないっぺん仁徳天皇陵古墳、行ってみますか?」
「・・とりあえず行ってください」
「ホンマ、タダの森でっせ」
・・着いた。見た。・・・目の前に広がる巨大な森、を見たぁぁぁっ。
 

庭の想い出です。

 
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小さい頃は庭でよく遊んだ。
そうは言ってもそんなに大きな庭ではなかったので、
チャンバラしておばあちゃんが大事に育てた、
草花を切り倒しちゃったり、
バットで素振りしてガラス割っちゃたり、
結構メチャクチャやってしかられたなあ・・。
それでも庭で遊ぶのが大好きだった。
その後家族で引っ越して団地住まい、それから、
一人暮らししてアパート住まい。
でもいつかは庭のある家に住んで、
あの子供の頃のように思いっきりバット振りまわしたいと思っていた。
そして、願いかなって庭のある家を手に入れた・・が、
がしかし、その庭は狭すぎてその夢は残念ながらになってしまいました。
がしかし、ボクは時々庭を眺めながら、
頭の中でイメージ素振りとかをするのである。
そうすると子供の頃の時間がよみがえって懐かしい想い出に浸れるのである。
・・なんかいいね。庭。小さいけどね。


 

ポケットの中の世界。

 
小学生の頃、学校から帰ると即、外に遊びにいった。
草むらで戦争ごっことか、
廃材で基地を作ったり、空き地で野球とか・・。
結構危ないおもちゃもあったよなあ、火薬とかのとか。
鉄砲なんかも玉がビューッと飛んだもんな。
でもメッチャ楽しかった。土まみれになってポケットの中も砂だらけでね。
時々、ちっちゃな虫なんかも入れちゃって、
ウチに入る前に、おふくろにポケット検査されたりね。
きっとポケットの中にはその日の夢の世界が入っていたのかもね。
今もポケット好きだけど、ハンカチくらいで後、何も入ってないなあ。
そうだな・・夢の世界が広がらなくなったのはいつ頃からだろうな・・。

 

プライド。どっかに落としてきましたか?

 
同じようなこと何度も書いたけど、
時々思うコト・・。
昔は道具がないと仕事にならなかった。
鉛筆、ハサミ、カッターナイフ、級数表、各種定規、
コンパス、ディバイダー、ロットリング、各種筆、
ポスターカラー、トレッシングペーパー、マスキングテープ、
マーカー、色鉛筆、色見本、ペーパーセメント・・。
思いつくだけでもコレくらい、
最低限コレらがないとお仕事ができなかった。
そして手技を磨いてほくそ笑んでいた。
薄い紙を2枚重ねてカッターナイフで上の1枚だけを切ってみせたり、
1センチの間に0.1ミリの線を10本平行均一にロットリングと
三角定規を使って引いてみせたり、
正5角形を瞬時に将棋とコンパスで描いたり、
まだまだ他にも今だと大道芸人的な扱いを受けるよ〜な、
そりゃもう職人技を披露できたもんだ。
“これがデザイナーのプライドなんだぜ”なんて自慢してたね。
でも時代は流れ・・。
今のボクの道具はパソコン。パソコン、だけ。
三角定規とかその当時使っていた道具は、ほとんど、
いや全てと言ってもイイぐらい消えた。
・・鉛筆、くらいかな使うの?
しかしパソコンのおかげで昔と比べると、
仕事はスピーディで格段の完成度を手に入れる事ができるよ〜になった。
まったくラクチンになったもんだ・・。
まあ、結果としてなくしたのは、
道具と技とプライドだけだからね・・。
まあ、いいんじゃないのラクチンになったのだから、ね・・ウン?
 

毎週ワクワクの少年マガジンでありました。

 
そうか、少年マンガ雑誌の発行部数が減っているのか・・。
まあムリもないわな、他に楽しい事がいっぱいあるもんなあ。
ボクが少年だった頃はマンガ雑誌を読む事くらいしか楽しみなかったから、
毎週の発売日を今か今かと首を長くして待っていた。
特に『少年マガジン』はその頃のヒーロー的な存在だった。
『巨人の星』と『明日のジョー』ね。
毎回ワクワクして読んだね。
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みんなで回し読みしてあ〜だこ〜だと言い合ったりね。
・・今ボクは、マンガ読まなくなったけど、
最近はどんなんが流行っているんだろね?
んでも、部数が減ってるってコトは、
それだけ素晴しい作品が少なくなってるってコトも言えるのかな??
いや待て!最近の子供たちは単純熱血感動モノに、
そんなに簡単になびかないのかもしれないね。
そ〜ゆ〜モノをちょっと冷静に判断する目を持っているのかも!
当時大リーグボールで少年たちの心を夢一杯にさせた、
巨人の星の感動は、もう古いのかね・・。
今の子たちからしたら、
『だいたい大リーグボールなんてありえないじゃん』ってかね。
プロフィール

taquantaquan

Author:taquantaquan
シアワセにつながることが行動の基本です。美味しいものを食べたり楽しいところへ行ったりする事も大好きです。だから毎日頑張ってます!






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