イトウタカシの日常

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ウルトラQ。面白かったね。

 
ウルトラマンが出てくる前の“ウルトラQ”とゆ〜番組。
好きだったなあ。単なる怪獣をやっつけてめでたしめでたしの展開ではなく、
それぞれの物語にペーソスとゆ〜か、哀愁が漂っていて、
人間であることを考えさせるよ〜な深いドラマだった。
ボクは子どもながらに毎回感心して見ていた。
主題歌も当時としては斬新な、
ダダダダ・ダダダダ・ダダァ〜ン・ダダァ〜〜みたいな、
歌詞のない音楽で神秘的な世界にいざなわれた。
う〜んよく出来たテレビドラマだったね。
今みても面白いんじゃないかな??
『ウルトラQ』
当時で1話あたり約600万円(相場の約4倍)という破格の予算を投じており、特撮シーンの撮影には映画と同じ35mmフィルムが使用されるなど、他の作品とは一線を画していた。
それまでは映画でしか見ることができなかった怪獣や怪奇事件が円谷英二の手により毎週テレビ画面に登場するという贅沢さ、当時のテレビドラマは4回(1ヶ月)で1話が完了するという作りが普通であるのに『ウルトラQ』では1回で1話完結という簡潔さも斬新さが受け、番組は大ヒットを記録。平均視聴率30%を越す超人気番組となった。
シリーズ唯一のモノクロ作品であり、全編撮影後に放映枠を探し、武田薬品工業株式会社のタケダアワーにおいて第一期ウルトラシリーズ(空想特撮シリーズ)第1作として放映された経緯がある。
『ウルトラQ』のタイトルの由来は、当時の日本の男子体操選手が披露した高難度の技の総称「ウルトラC」と、「Question(謎、疑問)」のQを組み合わせたものである。
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中学生の美術の時間。

 
ボクは絵を描いたり何かを作ったりするのが好きである。
幼少期から絵を描くと褒められていた。
しかし中学に上がると突然絵を描く事が嫌いになった。
原因ははっきりしている。
当時の美術教師がボクとまるっきり合わなかったから。
ボクは絵は自由に描くモノだと思っていたが、
その教師はキチッと描くのがよろしいと決めつけていた。
あるとき風景を写生するとゆ〜授業、
ボクはあまりにも気分が良かったのでイメージで風景を描きだした。
空なんかピンクにしちゃって木も黄色。
向こうに見える山々は水色に塗って何ともカラフルな絵が出来上がり、
一人悦に入ってルンルンしていた。と、そこへ例の教師が現れ、
ボクの絵を見て烈火の如く怒りはじめ、
「そ、空はそんな色か!えぇ!」
「そして木は木の色を塗らんか!」
「こんな無茶苦茶な絵描いてオマエえぇ!遊んでるのか!えぇ!」
ボクはなんでこんなに叱られるのかわからずポカンとしていると、
「私の話を聞いているのかオマエえぇ!」
またあるとき石膏で人体像を作る授業で、
ボクは普通に作るにが嫌だったので、
頭を大きく体を細く小さくバランスを崩し、
とても面白い形の人体像が出来上がりまたまた一人悦に入ってルンルンしていた。
するとまた例の教師が目じりを吊り上げて、
「こ、こんな人間がおるか!えぇ!」
「もっと人の構造を考えて作らんか!」
「こんな無茶苦茶な人間、オマエえぇ!遊んでるのか!えぇ!」
そして、またなんで叱られるのかわからずにいると、
「オマエはホントにやる気あるのか?オマエえぇ!」
・・そんなことが相次ぎいつの間にやら美術の授業は、
テキトーに受けるようになりとてもつまらない時間になっていた。
でも今にして思うとその教師はボクに美術の基礎を教えようとしてたんだね。
写実とか素描とかの大切さをね。それがつまらなかったんだねボクは。
あの時ひと言でも『いいよ空、ピンクで』『おお、この人体は独創的だ』
なんて言ってくれてたら面白くってたまらなかった美術の授業。
としてボクの記憶に残っているんだろうがね・・。
やっぱ美術教師のつとめは絵を描くことはとても楽しいことなんだってことを
どれだけ伝えられるかだと思うね!
う〜ん、コレって学習すべてに言えることかもな・・。
 

スパイ大作戦。かぁ。

 
昔のテレビドラマで『スパイ大作戦』ってのが好きだった。
〜おはようフェルプス君〜ではじまる、アレ。
痛快でハラハラドキドキのストーリーを興奮しながら見てたな。
・・しかし、その時は何も思わなかったが、
よく考えてみると『スパイ大作戦』って、オカシくない?
だってスパイって敵のようすをひそかに探る人のことだよねえ?
それが大作戦しちゃうって、どうなの?
原題は 『Mission: Impossible』手に負えない任務。使命。
命がけの任務。みたいな意味だよね。
きっと、当時の担当のエライさんが、
「ミ、ミッション インポッシブル??」
「なんのこと?ど〜ゆ〜こと??」
「なんかこうパンチがねえなあ」
「もっとナウいのないの?」
「う〜ん大作戦だよ!」「そ〜よスパイよ?」
「スパイ大作戦でイイんじゃない!バッチグ〜よ!」
・・てなカンジで決まったんだろな。きっと。
まあ、題名はともかくとしても面白いドラマだったな。
 

メンズショップみゆきの想い出。

 
高校生の頃の話。
ちょうどオシャレに目覚めた頃。
当時はアイビーブーム真っ盛り、
VANのボタンダウンシャツとコットンパンツで、
町を歩くのが僕たちの基本だった時代でしたね。
そんな時、ボクの友だちの友だちで、
高校をやめてメンズショップの店員さんになったヤツがいた。
そのお店はVANの商品をはじめ各種有名ブランドを扱う、
当時ボクらのあこがれの場所であった。
そこの店員さんたちはみんなカッコ良くキマっていた。
スターのようにキラキラしていて羨望の的だったな・・。
なのでそんなお店で働きだした彼もボクらの自慢だった。
え〜っと確かメンズショップみゆきって名前だったと思う。
休みの日はみんなでオシャレしてメンズショップみゆきに行き、
いろいろファッションの情報を得たり、
店員さんの着こなしを参考にしたりして充実した時間を過ごした。
なかでも自慢の彼との話はいつも盛り上がった。
そして毎日好きな服の事を考え、好きな服に身を包み、
楽しくお仕事している彼が、うらやましく思えた。
『あ〜いいなあ、こんな生活送りたいなあ・・』なんて真剣に思ってたね。
勉強に飽きていた高校生の軽はずみな考えだったね。
そのメンズショップみゆきの彼が、
ボクらよりずっと大人に見えたのは働く事の大変さがわかっていたからだろうね。
きっと彼は『君ら高校生は悩みなくって良いよな』なんて思いながら、
接客してくれていたんだろうね。たぶんそうだったんだろね。
・・もう遅いけど、当時ファッションに気合いを入れたくらいに、
勉強に興味を持っていたら・・まっ考えてもショ〜がないわな!
 

蚊帳の思い出。

 
なんだか蒸し暑くって、クーラーなしでは寝られませんね。
しかし、ボクが子どもの頃の夏は昼間は暑いけれど、
夜になると気温が下がり涼しい風が入ってきて、
とても快適だったなあ・・と思う。
今は温度が下がらないんだよね。土の地面を覆いすぎちゃったからね。
で、昔。寝る前に窓とゆ〜窓を開けっぱなしにして、
蚊帳(かや)吊って寝るんだよね。
ものすごく不用心だけどコレが気持ちいいんだ。
ス〜ッと風が蚊取り線香のにおいとともに通って、
外では飼ってた鈴虫が鳴いていて、もうすぐに眠りにつけた。
今あんまり気持ちのよくないクーラーの風を感じながら、
あんまり気持ちのよくない眠リについている。
・・よしっ、お隣が更地のうちにウチの前の道のアスファルトはがして、
土の道にして窓全開にして蚊帳吊って寝てみるか!!?
いや、もっと大掛かりな手段にでないとダメだ!
向かいのマンションも更地にして、イトーのウチの周り一帯も更地にしよう!
そ〜すれば昔のように快眠できるだろう!
・・うん?イカンあまりにも暑いのでチトオカシくなったかな??


 

SAAB (サーブ) ・・かあ・・。

 
SAAB (サーブ)
Saab-900-3door.jpg
スウェーデンのクルマ。
その独特なスタイルは何にも似ていない鋭い個性を発していたな。
ボクはそ〜ゆ〜ところ好きだったなあ。
そのサーブがついに消滅するのか・・。
う〜〜ん感慨深いなあ・・。
ボクは結局試乗しただけどその時、
まるで、飛行機のコックピットのような運転席が印象的だった。
うん、やる気にさせる座り心地だったな。
もう、こ〜ゆ〜クルマは作られる事ないだろね。
残念だけども時代の流れか・・、仕方ないか!

 

30年チョットかぁ・・。

 
昨日はお世話になっている専門学校の、
卒業式&卒業記念謝恩会でした。
ボクはこの学校ができた時から講師をしている。
う〜んもう30年以上か・・。
1期生は50歳を過ぎている。
それ考えると凄いことだね。
30年前は兄貴みたいなカンジで学生と接していたので、
叱ったり褒めたり感情で体当たりしてたな。
今、彼らの父親の世代。ウン?もしかしておじいちゃんに近い??
になって少しは人に何かを教えることが上手くなったかしらん?
チト疑問ではあるが、まあ、また来年度も、
ボクなりに力いっぱいやらせてもらおうじゃないの!

 

故郷は心の中に。

 
ボクには実家とゆ〜か故郷とゆ〜ものがない。
生まれたのは、名古屋市中区、今の矢場町近くであった。
そこはボクが生まれてすぐに区画整理があって、
引っ越しを余儀なくされた。
その後その地にはビルが建ったり道路が整備されたりした。
なのでボクらが住んでいた痕跡は跡形もなくなくなってしまった。
今そこら辺りに行ってもどこだかわかりませんね。
そしてボクらは中区から港区へと移動した。
なぜ、港区に行ったかとゆ〜と、
港近くの魚屋に新鮮なカニが売られていて、
ヤッパ新鮮な魚介類が食べられるトコがいいだろうってことで決めたらしい。
(でも後で知ったことだが名古屋港は魚の水揚げはなくたまたまその日に
その魚屋に新鮮なカニが仕入れられていただけのことであったのだ)
オモシロ話だね。
当時は、ボクの両親と3つ上の姉と、
親父のお母さんつまりボクのおばあちゃんと、
生まれたてのボクの5人家族。
この港区でボクは中学3年まで15年間暮らすコトになった。
だからココが一番思い出に残っている地である。
だが、港区は伊勢湾台風をはじめ水害の多い町であった。
土地が低いコトも手伝ってちょっとスゴい雨が降ると、
すぐ床下、床上浸水をした。
もうたまらんと思ったイトーさんちは、
港区から抜け出し、西区に居を構える。
居を構えるといっても市営住宅の一室だ。
ところでなぜ、西区に来たかとゆ〜と、
絶対水に浸からない!とゆ〜理由。
イトーさんちは単純なのである。
でもココでの生活は部屋が狭くって苦労した。
しばらくして、港区の家は建て壊され水害を回避できるように、
盛り土をして新たな集合住宅になったのだ。
なのでボクらが住んでいた痕跡は跡形もなくなくなってしまった。
さて、15歳から20歳くらいまで過ごした西区の住居であるが、
最近老朽化が進みこの度、取り壊しが決まった。
もうココには誰も住んでいない。とゆ〜か、
母親がいるのだが、近くの施設に入っていて、
もうココに帰ってくるコトはないだろう。
退去要請に従い部屋を整理して鍵を市役所に返した。
近い将来ボクらが住んでいた痕跡は跡形もなくなくなってしまうんだろう。
あぁ、故郷は心の中で想うもの??か・・。

 

“VAN”の思い出。

 
300px-VANブランドタグ
いまだにこのタグを見ると胸が高鳴る。
高校生の頃のマストアイテムだった。
ココのボタンダウンシャツとコットンパンツを着て、
リーガルのコインローハーを履いて、
このロゴの付いたステンカラーコートを羽織って、
颯爽と街を歩く・・。楽しかったなあ・・。
なんかとってもオシャレな人間になった気がして・・。
“VAN”の洋服を着て街を歩く事が僕たちのステイタスだったね。
いわゆるアイビーファッション!
意味とか由来とかは知らずに、
「VANを着ればアイビーだわさ」ってな感じでね。
後にその意味を知って感動したもんだ。
ワクワクしてた青春の思い出だね。
 

音楽はCDジャケットから始まります。

 
「スンマセ〜ン、
ポイントカードの期限が少しだけ切れてるんですけどォ
何とかなりませんかァ??」
「あっハイ今回延長しておきますので、
 たくさんお買い求め下さい!」
音楽CDショップで店員さんとのやり取り。
う〜〜ん、音楽CD売れないんだろうなあ、
店内を歩いても映画とかビデオの棚が、
音楽CDの倍ぐらいのスペースをしめている。
う〜〜ん、音楽CD買わないんだろうなあ、
ボクみたいなレコード世代にはなんか寂しいカンジ。
レコードショップに30センチの正方形のLPが並んでいた時代。
レコードジャケットのデザインを見るだけでも楽しかったなあ・・。
美しいジャケットなんか見つけると曲を聴かずに買っちゃったりね!
いわゆる『ジャケ買い』だね。
ウチに帰って聞いてみてガッカリしたりしてね。
今でもボクは音楽はダウンロードして聴きません。
ちゃんと音楽CDショップに行ってCDを見て、
気分が高まったら購入します。
音楽を聴くのにもルーティンが必要だと思います。
プロフィール

taquantaquan

Author:taquantaquan
シアワセにつながることが行動の基本です。美味しいものを食べたり楽しいところへ行ったりする事も大好きです。だから毎日頑張ってます!






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