イトウタカシの日常

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故郷は心の中に。

 
ボクには実家とゆ〜か故郷とゆ〜ものがない。
生まれたのは、名古屋市中区、今の矢場町近くであった。
そこはボクが生まれてすぐに区画整理があって、
引っ越しを余儀なくされた。
その後その地にはビルが建ったり道路が整備されたりした。
なのでボクらが住んでいた痕跡は跡形もなくなくなってしまった。
今そこら辺りに行ってもどこだかわかりませんね。
そしてボクらは中区から港区へと移動した。
なぜ、港区に行ったかとゆ〜と、
港近くの魚屋に新鮮なカニが売られていて、
ヤッパ新鮮な魚介類が食べられるトコがいいだろうってことで決めたらしい。
(でも後で知ったことだが名古屋港は魚の水揚げはなくたまたまその日に
その魚屋に新鮮なカニが仕入れられていただけのことであったのだ)
オモシロ話だね。
当時は、ボクの両親と3つ上の姉と、
親父のお母さんつまりボクのおばあちゃんと、
生まれたてのボクの5人家族。
この港区でボクは中学3年まで15年間暮らすコトになった。
だからココが一番思い出に残っている地である。
だが、港区は伊勢湾台風をはじめ水害の多い町であった。
土地が低いコトも手伝ってちょっとスゴい雨が降ると、
すぐ床下、床上浸水をした。
もうたまらんと思ったイトーさんちは、
港区から抜け出し、西区に居を構える。
居を構えるといっても市営住宅の一室だ。
ところでなぜ、西区に来たかとゆ〜と、
絶対水に浸からない!とゆ〜理由。
イトーさんちは単純なのである。
でもココでの生活は部屋が狭くって苦労した。
しばらくして、港区の家は建て壊され水害を回避できるように、
盛り土をして新たな集合住宅になったのだ。
なのでボクらが住んでいた痕跡は跡形もなくなくなってしまった。
さて、15歳から20歳くらいまで過ごした西区の住居であるが、
最近老朽化が進みこの度、取り壊しが決まった。
もうココには誰も住んでいない。とゆ〜か、
母親がいるのだが、近くの施設に入っていて、
もうココに帰ってくるコトはないだろう。
退去要請に従い部屋を整理して鍵を市役所に返した。
近い将来ボクらが住んでいた痕跡は跡形もなくなくなってしまうんだろう。
あぁ、故郷は心の中で想うもの??か・・。

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Author:taquantaquan
シアワセにつながることが行動の基本です。美味しいものを食べたり楽しいところへ行ったりする事も大好きです。だから毎日頑張ってます!






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